さよなら、シュミット [小話]

「内臓がふわっと浮いて、心が後ろに吹き飛ばされるんだ」

彼はそれを見たのだと言う。
振り向けばそれは真正面に立っていて、それの真正面に彼は立っていた。
脚が痺れるようだと感じ、同時に両腕が翼と化した錯覚まで覚える、と。
万能感というやつだ。主に、根拠の無い。

「俺は思わず叫んだね、この、クソ野郎! って」

その日から、彼はそれを「クソ野郎」と呼ぶ事にしたらしい。
どうしてそんな事を叫んでしまったのだ、と聞けば

「それしか思い付かなかったからだよ」

と、さも当たり前のような顔をして答えた。
ともすれば言葉にすらならなかったかもしれない叫びが、そのままそれを定義づける名前となったのだ。

「あんたもたまげるぜ、そんできっと、笑いたくなるはずだ」

訛りの強い口調で彼が言ったのは、それだけ率直な心情ということだろうか。
そして今、私はその意味をたった0.5秒という時間の中で知りつつある。
時計の針などでは決して刻むことの出来ない、しかし極度に切り取られた瞬間。

「神様に会うっていうのは、そういう時なのかもしれないな」

背後から、叫び声が聞こえる。
遠くから、近くから、意識の外で、耳のすぐそばで。
腐った生焼けのステーキをよりひどくしたような、くすんだ色のにおいが漂ってくる。

「お前も、じきに会えると思うぜ」

彼が言った通りだ。
痺れる脚も、羽根が生えたようだと感じた腕も、既にこの世の法則の外側へ行ってしまった。

「お前なら、それを何と名付ける?」

それは、私の目の前にあった。
私は、それの真正面へ足を踏み入れてしまった。
光と、風と、熱を帯びた……あれはなんだ? 今更のように問い掛ける。

「俺の時みたいに、クソ野郎じゃないといいな」

そして私もまた、叫ぶのだ。彼のように。
笑いながら、これ以上ない程にありきたりな罵りを添えた声で。

「さよなら、シュミット」

感情の破片が風に散り行く。
砂漠の上で、それがひとつになる。

100年後のクリスマス [小話]

 11月も下旬に差し掛かる、寒い昼のことだった。訓練の合間、自室のテレビを何となく眺めていた時。ふと、青年兵士の目が止まった。国内の大手スーパー、セインズベリーズのCMだった。ここヘリフォードにも郊外型の大型店舗を構える、市民には身近なチェーン店である。
 約4分にも及ぶ長いテレビCMが静寂の中に流れる。雪の降る中で歌われる、二ヶ国語の「きよしこの夜」。両手を挙げて恐る恐る出会う、ジムとオットー。信じられないような奇跡をその目に映す、役者の表情が妙に感傷的だと彼は思った。
 やってくれたな、と読んでいた本を閉じ彼は苦笑した。映画の風情を模して作られたコマーシャルはやけに感傷的で、質も決して悪いものではなかった。
 それもその筈だ。今年は第一次大戦からちょうど100年の年。感傷的にならざるを得ない。今月ロンドン塔には888,246本の花が並び、国内はすっかり「リメンバランスムード」だ。青年の祖父もまた軍人であったが、それとはまた違った雰囲気をここ一ヶ月のイギリスは漂わせていた。
 翌日、青年兵士は例のテレビCMが動画共有サイトにもアップロードされていることを知り、日頃訓練を担当している仲の良い教官に話題を提供したいとその動画を見せた。赤毛の教官が座るデスクには、同じ色の紅茶と、やはりセインズベリーズで評判と言われるビスケットが無造作に置かれていた。
「やってくれたな」
 子犬のように懐く「生徒」が私物のタブレットで見せた動画を目にするなり、教官は苦笑した。その第一声が自分と同じ感想であったことを、青年は特に理由もなく喜んだ。共感力に乏しいと基地内で四六時中言われる50歳を迎えた訓練担当官の表情が、理由は分からずにしろほころんだのだから。
「私たちもいずれ、この基地の時計台に名前を刻むか。もしくはロンドン塔の花の一本となるか」
 しかし、柔らかな苦笑から漏れ出た感情は諦観にも近い当事者のそれであった。教官は口元に笑みを浮かべたまま、青年に問う。
「お前はどうする? 少なくとも、私のような生き方はあまりオススメしないがね」
 冗談めかして笑う教官を前に、青年もまた苦笑する。
「教官が名前を刻んでくれるなら、自分はとりあえず時計台の方が良いです」
「楽をしようとするんじゃないよ、若造」
 冷え込みも厳しいクレデンヒルに、ビスケットを砕く音がふたつ響いた。

(了)


【小話】悪夢 [小話]

オリジナルです。お題は『悪夢』。
現代ファンタジー系、と言うと一番しっくり来るんでしょうか。
スペインの片田舎、しがない贋作画家とそれに懐く少女のお話。


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【小話】Coffee mate [小話]

たまにはコーヒーもいいんじゃない、っていう車椅子な大尉と
なんとなく寂しいらしい部下


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【小話】Scottish man in London [小話]

Englishman in Newyorkを聴いていてふと。
どのスコティッシュかはご想像にお任せで。


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【小ネタ】あめつち [小話]

くらいくらい 私の家に光さす
流浪の民が やってくる
白装束で やってくる
いきを飲んで 私はみた

いのちを抱えて やってきた
宝物だよ それは
茨の絡んだ 手があかい

白装束はいう
憎んでくれれば いいのにと
宝物は だれのもの
いっそふたりで ここを出よう

白装束が やってくる
寝床から 私をさらって
苗をひとつ 植えつけた
いっそこのまま ふたりで出よう

まだ日が昇りきる前に
だいじょうぶ

いのちは宝物
綺麗な綺麗な ガラス玉
宝物は だれのもの
いっそふたりで ここを出よう




あいうえお作文続き [小話]

始めて会った日のことを、憶えていますか。
一人佇んでいた私にあなたは これからは
「二人っきりだな」と苦笑した。
変な人だ、と思った。
本当に、変な人だと———私もまた、どうしようもなく苦笑した日のことを。


魔が差した、と君は言うかもしれない。
見たまえよ、このあられもない欲の情を。
夢魔に犯されたなどという言い訳は通用しない。
目と目を合わせて呟けば、
もうそこでは視線はおろか、唇までもが重なっていく。


やめてくれと叫ぶのも、
許してくれと泣くのも、
よがっているようにしか、もう見えないのだ。


爛々と輝く瞳は化学物質の白をくわえて
立体感を失った感情をただひたすら
涙液に代えて垂れ流す。
レントゲンですら見えないものを
肋骨の中心に見出そうということ自体が、愚かしい。


渡し賃は命半分でよろしいか
「をかしな客だ」と船頭が嗤う瞬間。
ん、と口を塞がれて———息を手渡し僕は死ぬ。



【腐向け?】あいうえお作文など [小話]

あなたに出会って初めてぼくは
息をすることを憶えたのだった
有無も言わさず悪夢から引き上げられ
えらぶ時間すら与えられずに目を泳がせれば。
俺のところへ落ちて来いと、彼は言うのだ。


空っぽの瞳を海へ投げかけた
きつく握り締めたのは他でもない、心だ。
狂ってしまえばいいと透明な魚が笑う
けれど、けれど、ぼくらはまどう。
声なき声をただ、無闇に口移す


冷めたコーヒーを抱えてひとりすわる
しんしん雪降る冬の日に
すべては静かに埋もれていってしまった
セックスだなんて、大したもんじゃない
そう 埋もれていってしまっただけなのだ


助けて、と言ってはいけない
血が涙の痕を隠そうと必死にその頬を流れ
つたってもつたってもつたっても
手に持った死を愛おしく抱けぬのならば
とうとう、糸は切れてお前の幕が降りる


なにもない なにもない
荷馬車に揺られて ぼくらはゆく
濡れた身体もそのままに
ねぇ、と時には重なりあって
ノイズの中を 溺れゆく




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